2015/11/28(Sat)
その1

24日(火)に降り続いた雪で、11月下旬にして、上川地方はすっかり冬景色になってしまいました。
このあとどれほどの暖気が続いたとしても この雪がとけて無くなるとは思えないので、このまま根雪となりそうです。




きょう (11月28日) の北海道新聞に、来年3月の北海道新幹線開業のダイヤ改正で、減便になる普通列車の詳細が発表されました。

その2

その3





その4
現在の時刻表と見比べながらでないと、この表だけを見せられても 具体的にどれくらい減るのかがピンと来ないとは思いますが、石勝線の夕張~新夕張~追分間と宗谷北線は、けっこうな減便になってる印象。


その5

現在3往復の札沼線末端部は 昼と夜の便が廃止となり、朝9時台のみの、1日1往復となるようです。  http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2015/151127-1.pdf
[ .北見大橋 at 2015/11/28(Sat) 19:15コメント(0) ]
2015/11/14(Sat)
池北線

帯広基点で、1日2本の急行池北が走っています。
通過する 高島、勇足、仙美里、上利別、小利別、境野、上常呂では 通過授受が行われていました。
[ .北見大橋 at 2015/11/14(Sat) 17:15コメント(0) ]
2015/11/05(Thu)
2015/10/18(Sun)
タカ 1



タカ 2



タカ 3
[ .北見大橋 at 2015/10/18(Sun) 20:05コメント(0) ]
2015/10/14(Wed)
アヨ
[ .北見大橋 at 2015/10/14(Wed) 00:45コメント(0) ]
2015/10/04(Sun)
10月1日の北海道新聞の朝刊より

271001記事 1



271001記事 2

黒抜きの9駅が、来年 2016年3月改正で廃止される予定で動いている。

石北線の上白滝駅・旧白滝仮乗降場・下白滝駅・金華駅、根室線の花咲駅、
石勝線の東追分・十三里駅、函館線 八雲町の鷲ノ巣仮乗降場、
そしてキングオブ秘境駅の小幌仮乗降場。

交換設備のある下白滝、金華、東追分、十三里、鷲ノ巣は、信号場へ格下げとなる。

小幌に関しては記事にある通り、豊浦町が駅運営費を負担することで 存続を協議している
最中です。



271001記事 3



271001記事 4



271001記事 5
[ .北見大橋 at 2015/10/04(Sun) 20:30コメント(0) ]
2015/09/30(Wed)
9月30日の北海道新聞の朝刊の第一面を見ていると、

札沼線記事 1



「札沼線 浦臼~新十津川 減便へ」 の文字が。

札沼線記事 2





いつからかわからないくらい昔っから札沼線の浦臼~新十津川間14キロは1日わずか3往復の運転で、新十津川到着の時刻はざっくり言うと 朝9時半、12時半、19時で、
15~20分ほど停車して 石狩沼田へ折り返していくというダイヤでした。

「浦臼~新十津川 減便へ」 という見出しを見て、昼の便が無くなるのかな?、それとも朝のが無くなって、昼と夜の2便体制になるのかな?なんて思いながら 当該記事の出ている第2面を開くと、、、

札沼線記事 3
  3往復を1往復にだって!?、 マジか!?

  予想を超える減便っぷりに、思わず食べていたごはんを噴き出してしまいました (苦笑)




札沼線記事 4


1日1往復って、、、楓駅の末期じゃないんだからさあ。

まあ、みんな思うことだろう。 
「だったらもう 思いきって廃止しちゃえよ」 、
「将来の廃止が見えてるにしても、まだ1日1往復でしばらく存続させるのか」 と。

冬場の雪崩災害が続発しているという深刻な事情があるにせよ、留萌線 留萌~増毛間の廃止を早々に決めた割には、浦臼~新十津川間はしばらく残すのね。


とりあえず、このブログを見てくださっている北海道外の方へ向けた速報でした。
[ .北見大橋 at 2015/09/30(Wed) 21:15コメント(1) ]
2015/09/27(Sun)
根室本線・広尾線・白糠線・士幌線

札幌発根室行きの 「阿寒」 という急行があります。
札幌13時05分発で根室には22時前に着く、所要9時間のロングラン列車でした。

釧路~根室間は駅数が少ないので一見近そうに見えますが
距離は135キロと、札幌~旭川間とほぼ同じ距離があります。


士幌線は上士幌行きと十勝三股行きのみで、糠平行きという列車はありません。


白糠線はまだ上茶路が終点の時代。
白糠線は昭和39年という遅い時期に 白糠~上茶路間25キロが開通。 この頃は雄別炭鉱の上茶路炭鉱がにぎわっていた時期で、石炭列車が走っていました。
この時刻表の翌年の昭和43年から上茶路より先の延伸工事が始まり、鉄建公団の高規格な造りで昭和45年に、8キロ先の白糠町二股地区の釧路二股駅まで完成。 途中に奥茶路駅を設置。
しかし その昭和45年に上茶路炭鉱が閉山となり、開業したところで赤字が目に見えている延伸区間8キロの引き受けを国鉄が拒否したため、完成した線路が放置され続けるという異例の事態に陥りました。
その後なんやかんやあって、2年の放置期間を経て 釧路二股駅まで延伸したのは昭和47年のこと。 「おくちゃろ」 「くしろふたまた」 で駅名標が造られていたものの、延伸開業時に奥茶路は下北進に、釧路二股は北進に改称されました。

そして上茶路~北進間の延伸からわずか11年後の昭和58年に、白糠線は廃止となりました。
[ .北見大橋 at 2015/09/27(Sun) 14:32コメント(1) ]
2015/09/20(Sun)
2015/09/06(Sun)
5月に名寄の北国博物館で開催された、「キマロキ保存40年・深名線廃止20年記念展」 の
写真を置いておきます。  ひまつぶしにどうぞ。

キマロキ展 1

キマロキ展 2

キマロキ展 3

キマロキ展 4

キマロキ展 5

キマロキ展 6

キマロキ展 7

キマロキ展 8

キマロキ展 9

キマロキ展 10

キマロキ展 12

キマロキ展 11

キマロキ展 13

キマロキ展 14

キマロキ展 15

キマロキ展 16

キマロキ展 17

キマロキ展 18

キマロキ展 19

キマロキ展 20
[ .北見大橋 at 2015/09/06(Sun) 14:00コメント(0) ]
2015/09/06(Sun)
2015/08/13(Thu)
2015/08/03(Mon)
萱野駅

萱野駅 1



萱野駅 2



萱野駅 3








三笠駅

三笠駅 4



三笠駅 5



三笠駅 6



三笠駅 7









唐松駅、幌内駅は無し。








弥生駅

弥生駅 8

  弥生駅の駅舎は、廃止5か月前の昭和62年2月に火事で焼けてしまいました



弥生駅 9








幾春別駅

幾春別駅 10
[ .北見大橋 at 2015/08/03(Mon) 23:45コメント(2) ]
2015/07/30(Thu)
ある方から、処分しようとしている写真を分けていただきました。
一眼カメラで撮ったものと思われます。

ネガで頂いたものを、カメラ屋の 「ネガをCDに保存するサービス」 を利用してデジタル化しました。

幌内線の廃止直前、昭和62年7月に撮られた写真です。
(昭和62年7月12日限りで廃止)




岩見沢駅

岩見沢駅 1

岩見沢駅 2





岩見沢駅 3








岩見沢駅 4


岩見沢駅 5


岩見沢駅 6


岩見沢駅 7


岩見沢駅 8


岩見沢駅 9

右の車両群は現在三笠駅跡に保存されている車両で、廃止日ぎりぎりまで、こうして岩見沢に留置されていたようです








栄町 仮乗降場

栄町 仮乗降場 10


栄町 仮乗降場 11


栄町 仮乗降場 12


栄町 仮乗降場 13









栄町 仮乗降場 14


栄町 仮乗降場 15


栄町 仮乗降場 16


栄町 仮乗降場 17


栄町 仮乗降場 18


栄町 仮乗降場 19
[ .北見大橋 at 2015/07/30(Thu) 00:15コメント(1) ]
2015/07/19(Sun)
根室本線 下り

下り、釧路方面行き。

石勝線が開業するのは昭和56年なので、滝川・富良野廻りが 十勝・釧路・根室を結ぶ大動脈だった時代。
「鹿越」 と載っていますが、これは、この時刻表の半年前の昭和41年9月28日限りで、金山ダム建設に伴う金山~東鹿越間の路線変更により新線(現行線)上に移転した 「鹿越信号場 (兼・仮乗降場)」 のことです。
その翌日の9月29日には落合~新得間の狩勝信号場・新内廻りが 新狩勝トンネル廻りの新線に切り替わり、時刻表には載らない上落合・新狩勝・広内(ひろうち)・西新得に加え、上芽室・常豊の6信号場が誕生しています。

朝に野花南行きがあります。

上芦別行きが3本あり、うち1本は急行そらち。 しかも、すべて札幌か小樽とを結ぶ列車です。
上芦別は三菱の城下町であり、昭和36年まで芦別森林鉄道が、昭和39年までは 現在の芦別温泉スターライトホテル近辺にあった三菱芦別炭鉱専用線の接続駅でした。 上芦別駅には現在も、釧路方面行きの下り線から滝川方面へ折り返せる信号設備が備わっています。
また、その小樽発上芦別行きの急行そらち1号に札幌から併結して富良野まで行く、臨時急行 「北の峰 銀嶺号」 があります。 列車名から察するに スキー列車でしょうか?  
滝里に停まっていて 「なぜ?」 と思いましたが、普通列車と交換のための停車のようで、運転停車するなら客扱いしてしまえ的な停車のように感じます。

函館4時10分発の釧路行き特急おおぞら。 根室線内での停まらないっぷりが痛快です。
列車番号は1D。 函館発の朝の一番列車で、停車駅は東室蘭・苫小牧で 札幌には4時間半後の8時40分着。 9分停車で進行方向が変わり、岩見沢・滝川と来て、函館から8時間半で帯広、終点釧路には10時間40分後の14時50分着です。 これでもかという程の停車駅の少なさが、まさに”特別急行”の感ありです。

函館11時15分発の特急おおとりは おおぞらの増発分も兼ねた位置付けの列車で、滝川で網走行き編成と釧路行き編成とに分割していましたが、食堂車は釧路編成に連結されていました。 という事で 昭和39年に登場した特急おおとり は、下りで言うと 「函館発 網走・釧路行き」 の列車であり、滝川から大きく二股に分かれる列車でした (上りはその逆パターン)。  釧路発着編成は昭和45年10月改正で廃止され、その後の特急おおとりは、シンプルな函館発網走行きの列車となりました。

札幌発根室行きの急行阿寒があります。 札幌13時05分発で釧路19時25分着、終点根室には約9時間後の 21時58分に到着。

急行まりもの他に、小樽発釧路行きの夜行普通列車があります。 数少ない通過駅の中に幾寅があり、「野花南や下金山には停まって、役場のある幾寅には停まらないの?」 と思ってしまいました。
富良野~落合間の普通列車は、夜行便を除いて1日7本。 現在の同区間は快速狩勝を含めて1日7本と、本数はこの頃からまったく変わっていません。

帯広発で、朝の便は北見、夕方のは陸別行きの、急行池北があります。

夜に尺別折り返しの列車があり、白糠で、白糠線の列車(上茶路発)を併結しています。
白糠線は昭和39年に白糠~上茶路が開通し、北進まで延伸したのは昭和47年のこと。 
全通からわずか11年後の昭和58年に廃止。

この時刻表の頃(昭和42年3月)は、尺別から分岐していた雄別炭鉱の尺別鉄道線がまだ健在で、上芦別や留萌線の恵比島、羽幌線の築別同様、尺別は炭鉱鉄道の起点駅としてそれなりの駅でした。 昭和45年2月に閉山して、その2か月後に尺別鉄道線も廃止されました。







根室本線 上り

上り、滝川方面行き。


※ しばらく前に書いて放置していた記事ですが、最近多忙で いつまで経ってもこれ以上加筆
  する元気が出ないため、このままアップしときます。
   各自、古い時刻表をお楽しみくださいませ (苦笑)
[ .北見大橋 at 2015/07/19(Sun) 01:05コメント(0) ]
2015/06/27(Sat)
平成18年(2006年)6月、胆振線にあった謎の仮乗降場、尾路園の跡地を見に、喜茂別町は御園・金山地区を訪れました。

「おろえん」 には、尾路園、尾路遠、尾路焉等々いろいろな漢字が当てられていましたが、
ここでは 「尾路園」 に統一して表記します。

おろえん 20
  ※ 国土地理院インターネット電子地図を加工して作成

図の左上の黄色矢印の位置が、御園駅跡。
御園駅構内の新大滝寄りすぐの、地図で 「金山」 と書いてある辺りに踏切があり、
線路は道路の西側へ移動。
胆振線を大きくふたつに分断していた峠越えが始まる。

地図の右手、「オロウェン支線川」 と書いてある付近の青矢印の位置が、尾路園仮乗降場があった場所。
御園駅から尾路園まで直線距離で約3.5キロなので、鉄路での駅間距離は3.8~4キロくらいだったのでしょうか。 (あくまで勝手な想像)









おろえん 1
  「金山の沢」 に架かる鉄橋  (地図の赤矢印の位置)




おろえん 2
  美しい築堤  (奥が御園駅方)


おろえん 3
  右が御園、左が尾路園・新大滝方。 左へ向かって登り勾配  


おろえん 4
ひとつ上の写真の右端に見切れている、オロウェンシリベツ川に架かる第二尾路園川橋梁跡









おろえん 5



おろえん 6
  赤いガーダー橋をくぐって、南側から撮影。  奥に、線路と並走している道道がある。
  左が御園、右が尾路園・新大滝方。  (地図の黄色矢印)
   (クルマは当時乗っていたワゴンR)


おろえん 7
  尾路園架道橋















おろえん 8
  地図の緑矢印の位置、支線一号川が流れる 「我妻の沢」 の林道の踏切跡から
  胆振線跡に突入



おろえん 9
  尾路園・新大滝へ向かって、見事な登り勾配が続く




  進入位置から500~600メートルほど行った右カーブが終わった辺りに、
  尾路園仮乗降場・線路班があったはず。





  ガタガタ道をゆっくり登っていくと、月並みな感想ですが、まるで列車の運転士気分で
  運転していてとても楽しく、興奮しました (笑)










おろえん 11
  右カーブが終わり、尾路園仮乗降場付近に到着  (地図の青矢印)

  尾路園仮乗降場のホームは、線路の右側にありました。
  この写真を撮ってる立ち位置からクルマの間くらいに、ホームがあったのだろうか。



おろえん 10
  








おろえん 12




おろえん 13
  奥が新大滝方。 登り勾配の途中 (のように感じました)。
  ここが何パーミルかは資料が無いためわかりませんが、おそらく20~25パーミルくらい
  かな?  はたまた 「ここは峠越えの途中の急勾配区間」 と思いこんでいたからそう感じた
  だけで、実は緩勾配なのかもしれません。
  ある意味当然ではありますが、尾路園仮乗降場・線路班の痕跡は、まったく見つかり
  ませんでした。









おろえん 14
  いま走ってきた御園方を振り返り撮影。
  すぐ奥で 下り勾配の左カーブが始まる。

  もしかすると、左の木の辺りにホームがあったのかもしれません。
  とりあえず 「この辺」 だった事は間違いないでしょう。









おろえん 15
線路から北を望むと、オロウェン支線川を挟んではるか向こう、200メートルほど離れた所に、線路と並走する道道が見えました。
ここから道道へ行くには、線路からきつい斜面を下って 笹やぶだらけの平地に出て川を渡り、また多少高い位置にある道路まで登る必要があります。

昭和23年の空中地図を見ると 線路班の官舎は道路のすぐそばにあったようで、線路から長い階段で降り、川を渡って官舎と行き来していたようです。




おろえん 16
  この写真に写っている道路下のどこかに、線路班の官舎があったのかもしれません














おろえん 17
  なんとかUターンをして、木の枝に注意しつつ ゆっくり戻る



おろえん 18
  途中、大きな切通しが。



これにて尾路園探索はおわり。

9年前の訪問で、特に真剣に記録調査をしに行ったわけではなかったので撮った写真もこれだけと、今となってはもっと撮っておけばと思わなくもないですが、こればっかりはしょうがないですね。
[ .北見大橋 at 2015/06/27(Sat) 22:00コメント(2) ]
2015/06/21(Sun)
札沼線

札幌~石狩沼田は 距離113キロ。 厳密には、札沼線は桑園~石狩沼田を結ぶ路線です。
時刻表の通り、浦臼で 路線の系統を南北に分けていました。 浦臼は札幌から距離64キロ、石狩沼田からは49キロと、札沼線のほぼ中間地点にあります。
近年電化された札幌~石狩当別~北海道医療大学間のことは置いといて、北海道医療大学以北の非電化ローカル区間を見てみますと、浦臼まで行く列車(石狩月形~浦臼を走る列車)は1日8往復あります。 現在でも浦臼までは1日7往復あるので、この頃からほとんど変化がない、大きく減ってはいないことがわかります。

そして現在、浦臼から北へ14キロ先の 終点新十津川までの区間が1日3往復しか走っていませんが、見方を変えると、新十津川の14キロ手前の浦臼までは1日7往復と、ローカル線としてはまあまあな本数が走っている、と言えるかもしれません。

この時刻表では浦臼以北の 浦臼~石狩沼田間に7往復走っていて、雨竜と和で列車交換があります。 新十津川にも交換設備がありました。 
雨竜駅の前後に、南雨竜・中雨竜のふたつの仮乗降場があります。
夕方に、休日運休の碧水行きがあります。 この頃は閉塞扱いしていた(交換設備があった)のでしょうか。
札幌~石狩沼田~深川を結ぶ直通列車が1日2往復あります。

昭和10年に全通した札沼線ですが、昭和18~19年に 石狩当別~石狩沼田間が不要不急線に指定され、線路をはがされてしまいます。
終戦から1年過ぎた昭和21年に ようやく石狩当別から浦臼まで復活するも、その先が全然進まず、浦臼~新十津川~雨竜の再開が昭和28年。 残る石狩沼田までの区間(=全線復活)は、昭和31年までかかりました。
それだけ復活させる優先順位が低い、、、客貨の輸送量が少ない、と見られていたのでしょうか。

そして全線復活からわずか16年後の昭和47年6月に、利用の少ない石狩沼田~新十津川間・35キロが部分廃止となり、国鉄バスに転換され、現在に至ります。
[ .北見大橋 at 2015/06/21(Sun) 20:00コメント(0) ]
2015/06/12(Fri)
『キマロキ保存40年・深名線廃線20年記念展』 という企画を見に、名寄の北国博物館へ行ってきました。

北国博物館









ポスター


キマロキまつり
  『キマロキまつり』 もあります









企画展 4
  玄関を入ってすぐのギャラリーホール。  この企画展は、見学無料。


企画展 5



企画展 6











企画展 7
  その中に、、、



企画展 8
  基準運転図表がありました







企画展 9
  右端に 気動車用と書いてあります

上の段の上り列車(深川方面行き)の方を見てみますと、名寄を出て R350の曲線で右に
カーブし、速度は60数キロに。 天塩川橋梁を渡り、下り10パーミルを過ぎた辺りから 運転曲線が点線に変わり、西名寄に到着。 点線は惰行、または減速(ブレーキ扱い)を、実線は力行状態を表しています。
天塩彌生を出ると R400の右カーブを曲りながら登り25パーミルに突入し、35キロまで出た速度は次第に落ちていき、20キロで均衡速度となって ひたすら登っていきます。





企画展 10

中の沢隧道を抜けたあと25パーミルから18パーミルに勾配が緩まると 速度が35キロまで
じわじわ上がり、長さ1530メートルの名雨隧道へ。 トンネルを抜けるとブレーキをかけながら時速55~60キロで下って北母子里へ、、、とそんな感じで進んでいきます。

この図表には書いていないおまけ情報ですが、名寄駅の標高は99メートルで、天塩弥生が
113メートル、延々と登って名雨トンネルの北母子里側坑口が333メートル、北母子里駅が
287メートル、蕗ノ台が324メートル、湖畔仮乗降場が約260メートル、そして朱鞠内が247メートルとなっています。





企画展 11
  
白樺、蕗ノ台と進んでいくと、、、





企画展 12
  
なんと宇津内が載ってるではないか!
位置は、深川起点で85キロ020メートル。 標高は302メートル。

「宇津内」 の駅名に手書きのバツ印が付けられていますが、これは、仮乗降場としての宇津内が廃止になったあとに、この図表の持ち主である運転士さんが付けたものだろうと想像。
なんにせよ 宇津内の駅名が載っていて、運転曲線は通過ではなく、しっかり宇津内に停まっている。

自分としては初めて、宇津内の駅名が入っている貴重な 古い時代の図表を見る事が出来ました。






企画展 13

見えにくいですが左端が朱鞠内で、その右手に鉛筆で 「湖」 と書いてあるのは、のちの湖畔仮乗降場のこと。 この図表が出来た時は まだ湖畔が無かったようで、運転曲線は 当然ながら停車せず通過しています。

深名線に気動車が走り始めたのは昭和30年4月で、湖畔仮乗降場が出来たのは昭和31年
5月なので、この図表は昭和30年4月から昭和31年5月までのものと思われます。
駅(停車場)としての宇津内は昭和24年3月で廃止になっていますが、その後は仮乗降場としてしばらく存続していた事はわかっています。
宇津内仮乗降場が正式にいつ頃無くなったのかを示したものは見つかっておらず、この図表からも廃止年月日を探る事は出来ませんが、とりあえず 仮乗降場として宇津内が生きていて、
一部の気動車列車が停車していた事が この運転図表からあらためてわかりました。

ちなみに、宇津内の駅舎を移築して造られた北一已駅は昭和29年12月に開業していますので、深名線に気動車が走り出し宇津内に停まっていた頃には、宇津内の駅本屋は無かったことになります。
うっそうとした森の中にぽっかりと広がる駅の空間。 乗り降りする人もまばらな土盛りの島式ホームに、レールバスのキハ03や キハ05、キハ07あたりが停車していたのでしょうか。

果たしていつ頃 仮乗降場としての宇津内が客扱いをやめたのか、今後も気長に資料探しをしていきたいと思います。
[ .北見大橋 at 2015/06/12(Fri) 22:30コメント(3) ]
2015/06/12(Fri)
企画展 8
  続いて、もう一方(写真下側)の基準運転図表を見てみましょう。










運転図表 21

  こちらは雨煙別から深川に向かっての図表です。







運転図表 22

てっきり 気動車用の運転図表の続きかと思って、左へ左へ目を進めてみるも、なにか違う感じ。
一番上の段の小さな文字での注意書きに、どこか違和感があるのだ。
字が小さくて判別が厳しいとは思いますが、沼牛駅を出てすぐの所で 「撒砂確認」 とあり、直後に(すぐ左に) 「仮想勾配利用」、幌加内隧道入口の所で 「空制確認」、そして 「補給制動 缶水100MM」 って、、、これ、気動車でなく、完全に蒸気機関車向けの用語でないか!

こちらの図表のタイトルは 「基準運転図表 (深名線) 上り第32列車 下り第33列車 
(8620) 名寄機関区」 ということで、8620型蒸気機関車牽引の客車列車(または混合列車)の、運転図表でした。
探せばいくらでもあるのでしょうけど、私は深名線での蒸機の写真はそれほど見たことがなく、あるとしてもキューロクばかりなため、「深名線の蒸機の運転図表!?、それもハチロク牽引の!?」 とうれしくなってしまいました。
そもそも新旧問わず運転図表の原版を見る機会なんてなかなか無いのに、補給制動とか空転警戒とかその文言だけで、何ともいえない熱いものがこみあげてきます。

幌加内隧道手前で峠を越えると、一転して 25パーミルで鷹泊へ下っていきます。
29キロポスト付近のR301メートルの右カーブの所で 「込め直し 前注視 (補給制動のまゝ
入駅厳禁)」 。
ときおり 「前注視」 の注意書きが出てきますが、すべて、機関士から見て、ボイラーによって
前がほとんど見えなくなる右カーブの箇所に書かれています。

せっかくなので図表下部の、名寄方面行き・下り列車の方へ目を向けてみると、鷹泊を出てすぐ 「撒砂 貯水確認」。 (沼牛に向かって表の右方向へ進むと) 上り勾配なので 「空転警戒」、幌加内隧道の所では 「隧道空転注意」、 隧道を出た頂上部分で 「空制確認」、そして35.5キロポストのあたりに 「補給制動」 と書かれています。






運転図表 23

今度は、幌成から多度志までを細かく見てみましょう。 

幌成側から順に 「頂上」 「揚水場」 「右曲り」 とあるのは、運転する上での通過目標物、または目標地点のこと。 
「頂上」 の真下に書かれている 「2.10」 は幌成発車から2分10分、そこから下へ目をやり 「22」 は時速22キロ。 「S」 は何の略なのかは勉強不足でわかりませんが、力行から惰行に移る地点に書かれているようです。 
で、惰行に入るのが幌成発車から 「2.20」 (2分20秒)、と。

「揚水場」 は幌成から4分00秒、速度は時速41キロ。 R603の右カーブ、その名も 「右曲り」 では幌成から5分35秒、時速39キロ。 幌成から7分20秒の位置(18.5キロポストくらい)で運転曲線が点線から実線に変わり、再力行。 その位置(7.20の上)に 「O」 の文字。 「ゼロ」 なのか アルファベットの 「オー」 なのかはわかりませんが、惰行に入るのがSなので、アルファベットのオーではないかと想像。
「S」 「10.20」 で惰行に入り、幌成から15分00秒で多度志に到着します。

余談ですが、昭和61年の基準運転時分表という手元の資料を見ると、幌成~多度志間を、
キハ22使用の各駅停車で 宇摩仮乗降場にも停車して、所要10分45秒。
DE10の 牽引定数30 (=300トン牽引) の貨物列車で、同駅間 14分でした。

先ほどの 「7.20」 の下の方に書かれている 「32.8k」 は幌成~多度志間の平均速度が
時速32.8キロで、「(8.3k)」 は駅間距離を表わしています。
[ .北見大橋 at 2015/06/12(Fri) 22:25コメント(2) ]
2015/06/12(Fri)
運転図表 24

上多度志を出ると20パーミルの峠越え。 サミットには多度志隧道があります。 
注意事項は、上多度志側から 「缶水100MM 空制確認」 「補給制動」 「速度調節 (単弁併用して)」、で、上多度志から13分50秒の位置に 「円山」 があります。 
深川起点で4キロ627メートル。 のちに円山仮乗降場が出来る辺りでしょう。
そのまま図表下部の下り列車の運転曲線へ目をやると、興味深いことに、こちらの方は
「円山線路班」 と書かれています。 (見づらいですが、深川から8分05秒の位置)

円山仮乗降場は深名線の仮乗降場の中でも唯一 土盛りのホームで、異彩を放ってました。
 (宇津内は除く)

昭和30年4月から深名線に気動車列車が走り出し、その4か月後に 円山・宇摩・下幌成・
新成生・上幌加内・下政和・大曲・共栄の 8つの仮乗降場が新設されますが、その中で円山だけがなぜか味のある土盛りホームで以前から疑問に思っていたのですが、もしかすると線路班があった事が関係しているのかもしれません。
また、線路班の通例からいって、昭和30年4月に仮乗降場として正式に営業を開始する以前から、ホームの有無に関係無く、線路班の子弟の通学のために 一部の列車を運転停車させていたのではないかと勝手に想像しています。

線路班の最寄りに出来た乗降場として私の頭にぱっと浮かぶのは、池北線の笹森や様舞、
根室線の稲士別、胆振線の尾路園などですが、円山もその手の出自だったようです。
ただ円山の場合、稲士別ほどではないにしても 周辺に農家がそれなりに存在し、昔も今も
小規模ながら農村集落としてしっかりしている環境な事は、他の線路班出自の乗降場とは
若干異なる部分かもしれません。 線路班があるような場所は総じて 「なぜこんな所に?」 と言いたくなる環境な場合が多いですからね。

・昭和23年の空中写真。 線路班のものなのか、やたらと大きな建物があります。
                  (画像のど真ん中付近です)
 http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=214019&isDetail=true  【国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの画像のリンクです】
 ※ クリックして一発で空中写真にリンクしない場合は、何度か試してみてください。


・昭和52年の空中写真。 土盛りホームは、踏切から南側へ少し離れた位置にありました。
   かなり見にくいですが、線路の右側に出来たホームの影を探してみてください。
   ホームは意外と長く、20メートル車 1.5~2両分くらいあるように見えます。
    (実際そうでした)
   少なくとも、板張りで 車両1両分に満たないような ”あの手の” 仮乗降場と比べると、
   なんとも独特な佇まいだった事は確かです。   
 http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=927912&isDetail=true
[ .北見大橋 at 2015/06/12(Fri) 22:20コメント(1) ]
2015/06/08(Mon)
留萠線・羽幌線 下り

まずは留萠線。
深川5時38分発の増毛・幌延行きの下り始発列車は、石狩沼田で札沼線経由の札幌行き車両を分割しています。 札沼線の石狩沼田~新十津川間が廃止になったのは、この時刻表の5年後の昭和47年6月。
留萠鉄道の分岐駅だった恵比島行きの列車があります。 夕方に、当時深川まで乗り入れていた留萠鉄道の車両が恵比島で分割して、昭和駅へ戻っていっています。 深川~留萠間を走る急行が 石狩沼田の他に恵比島にしか停まっていない事からも、恵比島駅の乗降客、乗り換え客が多かった事が想像できます。
留萠鉄道は、この1年後の昭和44年4月に昭和炭鉱と太刀別炭鉱が立て続けに閉山したことで、閉山からわずかひと月後の、翌・5月から営業休止になり、運行を再開することなく2年後に正式に廃止されました。

留萠~増毛間は普通列車が10、急行が1の、計11本の運行。 
現在の留萌~増毛間の下りは 1日6本 (休日は夜の1本が運休になり、1日5本) と、半減しています。

羽幌線。
下ノ滝、北里、西振老仮乗降場が載っています。 北里、西振老は昭和45年に、下ノ滝は昭和47年に廃止。
留萠線の恵比島と同じく、運炭目的の私鉄である羽幌炭礦鉄道が分岐していた築別行きの列車が、何本もあります。
また、深川から増毛でなく羽幌線に直通する列車も結構あります。

羽幌線は長らく 留萠~築別間の 「羽幌線」 と、幌延~遠別間の 「天塩線」 というふたつの盲腸線の状態が長く続いていて、昭和32年になって築別から北へ 初山別まで延伸。 翌年の昭和33年にようやく 最後の初山別~遠別間がつながり、北側の天塩線を羽幌線に編入して、晴れて留萠~幌延間が 「羽幌線」 として全線開通、という かなり若い路線でした。





留萠線・羽幌線 上り

上り。
築別から分岐していた羽幌炭礦鉄道が廃止になったのは、昭和45年12月。
手元にある昭和43年のダイヤグラムを見てみますと 築別から留萠へ向けた貨物(石炭)列車が1日6往復走っており、そのうち3往復に重連運転の印が付いています。 (蒸機の重連)
1日6往復とまずまずな本数が走っていたのは、小平~大椴、力昼~古丹別、上平~羽幌間に20パーミル勾配が存在するため 重連でも長い両数を牽く事が出来ず、その分 本数を増やして対応せざるを得なかったからだそうです。

夕方に 幌延発築別行きがあります。
4本ある急行のうち、2本が札幌、2本が旭川発着です。
札沼線経由の札幌発深川行きが2往復あります。
[ .北見大橋 at 2015/06/08(Mon) 23:15コメント(0) ]
2015/06/01(Mon)
宗谷本線 下り

下り、稚内方面。

西永山駅が載っています。
現在の北旭川貨物駅構内の稚内寄りにあった西永山駅は、この時刻表の半年後の 昭和42年10月いっぱいで廃止になりました。

昭和31年に設置された南咲来仮乗降場は、昭和56年に 現在の天塩川温泉仮乗降場へ
改称されました。
神路もあります。 神路大橋が落成し、そして落橋したのは昭和38年。

循環急行 「旭川」 は旭川を6時10分に礼文併結で出て、紋別遠軽経由で、旭川へは
13時42分に戻ってきます。
札幌発名寄行きの急行なよろが2本あります。
昭和35年登場の急行宗谷は札幌発ではなく函館発の稚内行きというロングランの列車でし
たが、石勝線が開業した昭和56年10月の改正で札幌発着に短縮されました。

旭川10時50分発の余市発稚内行き(!)普通列車は、恩根内で30分停まり、稚内行きの急行天北に追い抜かれます。

2本ある客車列車(旭川10時50分と17時54分発)は、蘭留で後補機を連結して塩狩峠越えに臨んでいたと思われ、気動車列車に比べ 蘭留での停車時間が若干長めになっているのが読み取れます。 急行利尻がどうだったのかは 時刻表からはわからず。 
(おそらく蘭留~和寒間で補機は付いたと思いますが)




宗谷本線 上り

上り、旭川方面。

名寄12時10分発の急行なよろが、なぜか塩狩にも停まっている。 塩狩で稚内行き天北と
すれ違うので、せっかく停まる(運転停車する)のだからと 客扱いをしていたのかな?
旭川を14時55分に出た循環急行旭川は、遠軽紋別廻りで進み、下りと同じく 名寄~旭川間は急行礼文と併結して旭川へ戻ってきます (22時41分着)。

音威子府~幌延間の普通列車は、1日6往復。
天塩中川(歌内)出身の母にこの古い時刻表を見せると、第一声で 「こんな昔っから、今とほとんど本数変わってないしょ。  過疎だねえ」 と笑ってました。
母の家は歌内小中学校から1キロほど幌延寄りに下った、天塩川の川っぷちで酪農をしていましたが、「汽車の音が時計代わりだった」 そうです。
昭和25年生まれの母が歌内から中川商業高校へ汽車通学していたまさにこの時刻表の頃は、「下中川で乗り降りする学生はけっこう居た。 私の友達も、下中川駅の踏切から少し奥に入った所で農家をしていた」  「列車が完全に止まりきらないうちに、男子が調子に乗って飛び降りていた」 「あの頃は道路は舗装されてなかったし、そもそも自転車がまだ貴重品だったから自転車通学は出来なかった」 。

現在 音威子府~幌延間の普通列車は、1本減って、1日5往復。

下中川から奥に延びる道路沿いの農家は 全戸離農して、現在はさけます孵化場を残して無人地帯になっており、下中川駅は平成13年に廃止となりました。
[ .北見大橋 at 2015/06/01(Mon) 21:00コメント(0) ]
2015/05/28(Thu)
細川たかし 1
  平成18年(2006年)8月、真狩村の道の駅にて。
  真狩出身の細川たかしコーナーがありました。


細川たかし 2
  昭和25年生まれ


細川たかし 3
  きらびやかな舞台衣装が飾ってあったり










細川たかし 4
  「細川たかしさんの母校 真狩村立知来別小学校」


細川たかし 5
  いい写真だなあ


細川たかし 6
  当時31歳


細川たかし 7
  母校に電子ピアノを贈呈








細川たかし 8



  知来別小学校のある、桜川地区へ行ってみることに。













知来別支所 9
  真狩農協の知来別支所跡


知来別支所 10
  暑いよーー


知来別支所 11
  給油所もあった










碑 12
  昭和60年に生家跡近くに建てられた、細川たかしを讃える碑


碑 13





碑 14


碑 15
[ .北見大橋 at 2015/05/28(Thu) 21:15コメント(0) ]
2015/05/28(Thu)
知来別小学校 1
  細川たかしの母校、知来別小学校へ


知来別小学校 2



知来別小学校 3



知来別小学校 4
  後方羊蹄山(しりべしやま)をバックに、知来別小学校跡。
  この訪問の7年前の、平成11年3月に閉校。





知来別小学校 5


知来別小学校 6













知来別小学校 7


知来別小学校 8


知来別小学校 9


知来別小学校 10









知来別小学校 11
  閉校1年前に造られた、卒業製作の郵便ポスト


知来別小学校 12


と、学校横の教員住宅跡にお住まいの方が出てこられ、
「学校見に来たの? 玄関開いてるよ。 中も見てみたら」 と 声をかけてくださった。






扉に手をかけると たしかにカギはかかっておらず、簡単に中へ入れた (笑)

知来別小学校 13


知来別小学校 14
  靴箱には、名字ではなく下の名前が











知来別小学校 15
  玄関を上がってすぐ左側は 妙にガランとしたスペース。
  天井板が無く、柱がむき出しになっている。
  運動場? 体育館?  もしや、ここが体育館代わりだったのかも?
  そう思って見ると、たしかに窓には破損防止用とおぼしき柵が付いている。

  一瞬、閉校後に改装してこの広いスペースを造りだしたのかなと思うも、
  見た感じからして、現役時代からこの造りだったような気がします。



知来別小学校 16
  まさか玄関から左側の部分が そのような造りになっていたとは。
  外から見る分には、まったく想像がつきません。








知来別小学校 17
  美しい柱組み

  こんな所でバスケなんかをやったら、上の柱にボールが当たりまくって
  大変だったのではないだろうか。
  蛍光灯にもしっかり、ガード用のカバーが付いている。

  バスケットゴールの右手が、玄関。
  ということで、奥の壁の向こう側が、校舎を正面に見た時に
  玄関から右側の部分(教室や職員室がある部分)となる。
 
  教室へとつながる 写真奥の4枚のガラス扉はカギがかかっていて入れませんでした。







知来別小学校 18
  ガラスごしに撮影。  昔ながらの木造校舎の佇まい


知来別小学校 19
  (おそらく) 教室がふたつに、職員室。 奥には多目的室の文字が。









知来別小学校 20

  裏手をきちんと見なかったので確定的な事は言えませんが、
  知来別小学校は、玄関の左側が体育館代わり?の広い運動スペース、
  玄関右側に教室がふたつと職員室、そして右端に あとから付け足されたような多目的室が
  ある、という造りの小学校だったようです
[ .北見大橋 at 2015/05/28(Thu) 21:10コメント(0) ]
2015/05/26(Tue)
和寒市街 1

奥が和寒駅。
駅手前の青信号の所が、国道40号線の交差点。






和寒市街 2
  国道から一本西側に入った道路が 和寒の商店街。 
  旭川方。


和寒市街 3
  名寄方。  この日は祝日。   平成27年(2015年)4月撮影 












和寒市街 4



和寒市街 5
  駅前交差点の角に燃料屋さんがあります


和寒市街 6
  そのお店の壁に


和寒市街 7
  住友奔別の文字が!!
  まさかこんな所で、2015年にもなって、奔別(ぽんべつ)の文字が見られるとは!



和寒市街 8
  「住友奔別会員」

  燃料屋さんだから、かつては奔別炭坑産の石炭を扱っていたのでしょうかね
[ .北見大橋 at 2015/05/26(Tue) 20:55コメント(0) ]
2015/05/22(Fri)
天北線

まずは下り (稚内方面行き) を見てみます。

札幌発稚内行きの急行利尻が音威子府に3時13分に到着するので、それに連絡する天北線下り始発も3時44分発と めちゃ早い。 そのまま走り通し 稚内7時31分着の通学列車となる。
稚内に着くと、折り返し 声問行きになり、稚内 → 声問 → 南稚内 → 恵北 → 稚内と、近い時間に細かく行ったり来たり。 各終着駅では3~4分の早業で折り返す。 恵北行きなんて便があったとは知りませんでした。
この連続の区間便は、稚内高校と稚内商工高校の2高校の最寄り駅である宇遠内仮乗降場への通学列車だと思っていますが どうなんでしょうか。

浜頓別~山軽間に 北頓別仮乗降場があります。 どの辺にあったのだろう。 
北頓別は、この時刻表の半年後の昭和42年9月いっぱいで廃止に。

午後の浜頓別発小石行き。 終点のひと駅手前の鬼志別で30分弱停まり、急行天北に追い抜かれる。  『単線追い抜き』 は個人的に大好物なのですが、通票閉塞路線で、かつ、浜頓別のような中規模ターミナル駅でない駅でこれがあったというのは何ともたまりません。 
それにしてもどうやって退避していたのだろう? 急行天北が2番線に入るとして、小石行きはいったん転線して1番線に逃げるものなのか、それとも当時の鬼志別は 3番線退避が出来るだけの場内・出発信号が備わっていたものなのか。 ご存知の方、または 「私はこうだと思う」 と思われる方、いらっしゃいましたら、ぜひお気軽にコメント欄にご意見をお願いします☆
さらにこの小石行きですが、小石駅に着いたあとでこの車両はどうなっていたのか。 17時40分台に小石で交換がありますが、上下どちらかの列車に併結して戻っていたのだろう。 
なんの根拠もありませんが、稚内行きにくっついていったのかな?と思ってみたり。

今度は上り (音威子府方面行き) を見てみますと、稚内発の始発が4時37分発と、こちらもなかなかの早さ。
朝に小石発浜頓別行きがあります。 この列車の車両は、稚内4時37分発の列車で来て、
小石で切り離していたのかな。
札幌行きの急行天北は 南稚内を通過しています。
稚内20時03分発の最終列車は、音威子府で 札幌行きの急行利尻と連絡していました。
利尻の時刻は画像の左側に見切れていますが、稚内20時30分発で 音威子府には23時32分着の、43分発車でした。

天北線は、大正11年に宗谷本線として稚内まで全通するも、4年後の大正15年に幌延廻りの天塩線 (音威子府~幌延~稚内) も全通。 さらに5年後の昭和5年に幌延廻りの天塩線が宗谷本線に編入され、元々の宗谷本線である音威子府~浜頓別~稚内間は北見線として分離されてしまいました。 で、30年間 北見線で親しまれたのち、昭和36年に天北線と改称されます。
ということで、この時刻表の6年前まで、天北線は北見線という線名でした。

小さいの頃から汽車好きだった私は、天塩中川に居た母方のじいさんから 「天北線は昔、北見線って名前だったんだよ」 と教えてもらい、「へえ、そうなんだー」 と思った記憶があります。 また同時に、「音威子府はトキワ村だった。 今でも常盤産業とか常盤砂利とか、そこかしこにトキワの名が残ってる」 と言われた事も一緒に思い出します。
(中川育ちの母も、 ことあるごとに音威子府は昔トキワだった、と口ぐせのように言います)

【追記】
浜頓別町史を見てみましたが、北頓別仮乗降場の記述はありませんでした。
[ .北見大橋 at 2015/05/22(Fri) 20:18コメント(2) ]
2015/05/20(Wed)
美幸線・興浜南北線・渚滑線

興浜北線。
朝に斜内折り返し便がある。
枝幸町から、浜頓別に朝8時くらいに着く通学列車って無かったのか。

興浜南線。
なんといっても、夕方の雄武発沢木行きという、雄武町内完結の下校列車に目を奪われます。
で、沢木から雄武へは (おそらく) 回送で戻っていく?というのがまた何ともいい感じ。

渚滑線。
渚滑発上渚滑行きの区間列車がある。 北見滝ノ上 朝6時45分発の通学列車に連結して戻っていくのかな?
というか、そもそも渚滑発上渚滑行きは、その6時45分の列車に上渚滑から増結するための送り込み回送を客扱いしているだけと想像してますが、どうなんでしょうか。 こんな時間に上渚滑まで行く人がどれほど居たものなのか。 しかし、上東仮乗降場には停まっているところを見ると、ちゃんと固定客がいたのでしょうね。
それより驚いたのは、その滝ノ上6時45分発の列車の行き先が、紋別ではなく、ひと駅先の元紋別行きだということ!  元紋別地区がそれなりに大きい街なのは知っていますが、まさかあの駅で折り返す列車があったとは知りませんでした。
余談ですが 昭和29年に、紋別郡の上渚滑村、渚滑村、紋別町の3町村が合併して、今の紋別市ができました。
[ .北見大橋 at 2015/05/20(Wed) 20:30コメント(1) ]
2015/05/18(Mon)
名寄本線

駅のラインナップは、平成元年の廃止時と同じです。

名寄発の始発列車が興部で急行天都の車両を分割。 分割した列車の30分後に発車して追いかけ、紋別で追い抜いていく。
それにしても、天都も そのあとの急行旭川も、紋別で交換も無いのに まあまあな時間、停車するのね。 
名寄方面行きの急行旭川に至っては、紋別で35分も停まる。 渚滑線の時刻表を見ると、北見滝ノ上発紋別行きの列車が 渚滑18時20分発 紋別18時28分着で有り、その後も18時59分まで渚滑~紋別間の閉塞が埋まっていて、その結果19時まで紋別に足止めを食らっているようです。 あとは、前を走る(遠軽16時28分発の)普通列車に追いつかないようにしているのと、おそらく、紋別を通過して乗り通すという需要が無いのでしょうね。
旭川8時07分・名寄11時02分発の列車は、旭川からの車両を上興部で分割して、今度は(遠軽9時09分発の)交換列車に連結して名寄へ戻っていくのかな?  興味深いのは、分割併合作業を下川や一ノ橋ではなく、わざわざ天北峠を越えた上興部でやっているということ。 名寄発の最終列車も支庁を越えた、峠の向こうの上興部行きです。 単に上興部地区が大きく乗降客もそれなりにあったからなのか、それとも運用の拠点としての上興部駅だからそうなっているのか。 もし 「上興部地区が大きかったから」 という理由だったとしても、だったら最終列車はあとひと駅、西興部まで行ってあげてもいいのでは?なんて思ったり。

午後に 平日のみ運転の、下川発一ノ橋行きの下校列車がある。 一方で、折り返し便は土日も関係なく走っている?。 (行数の関係で、細かい記載は省略している可能性はありそう)
夜に、興部発渚滑行きという最終列車がある。 紋別までは行かないというのが興味深い。
[ .北見大橋 at 2015/05/18(Mon) 21:18コメント(0) ]
2015/05/13(Wed)
標津線・湧網線

標津線。
多和 仮乗降場は、こんな昔から 1日1本ずつしか停まらなかったのね。
不勉強で、標津線に急行が、しかも2本も走っていたとは知りませんでした。
「らうす」 と 「くなしり」 という愛称もいいですね。

湧網線。
中能取、常呂港、土佐の、昭和47年に早々に廃止となった、常呂周辺の仮乗降場3兄弟が載っています。
多和とは対照的に、大曲仮乗降場の停車本数の多さにびっくり。
「名寄本線の湧別支線は、湧網線と運用が一体していた」 という話しを聞いたことはありましたが、この時刻表を見て納得です。 というか、湧別支線はこんな昔から1日2往復しか無かったのか (苦笑)
夕方に、卯原内発網走行きという区間列車があります。
[ .北見大橋 at 2015/05/13(Wed) 21:00コメント(0) ]
2015/05/13(Wed)
相生線・根北線・釧網本線

釧網線の桂台仮乗降場はこの時刻表の翌月、昭和42年4月の開業なので 載っていません。
相生線の高校前仮乗降場が 「津別高校前」 と表記されており、かつてはそう呼ばれていたのか、それとも単なる誤記なのか、調べてみたくなりました。 (手がかりはほとんど無いだろうけど)
根北線は昭和32年開業の 昭和45年11月末廃止なので、廃止3年半前のダイヤということになります。 ここでは1日4往復ですが、廃止直前は1日2往復という悲惨な本数でした。 
3つの仮乗降場(西二線、十四号、十六号)は載っておらず。

【追記】
昭和46年発行の津別町史を見てみたところ、相生線の高校前仮乗降場は そのまま 「高校前乗降場」 として載っていました。
備考欄に 「高校PTAからの要請で設置」 とありました。
[ .北見大橋 at 2015/05/13(Wed) 20:55コメント(0) ]
ブログ作者
北見大橋
  • 性別
    男性
  • 住所
    北海道中央部
  • 年齢
    42歳
  • 誕生日
    10月05日
とある方から北海道内で廃止になった路線の、駅の写真を分けて頂きました。 いくつかの路線の写真しかありませんが、仮乗降場に興味がある方に見て頂きたく、その思いだけでパソコン初心者が作ったブログです。 ほとんどが仮乗降場に関係のない記事ですが、ご笑覧頂けたら幸いです。
このブログについて
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