2016/12/13(Tue)
函館線下り1


函館線下り2

仁木発、上目名発、目名発の列車がある。 黒松内行き、野幌行きが、小樽発幾春別行きがある。 この頃は黒松内のひとつ先の熱郛発着の列車は無かったのね。
美唄で分割して南美唄まで行く列車が、小樽発着の急行が、循環急行いぶりがある。
特急北海は旭川行きで、特急おおとりは滝川で釧路編成を分割、札幌発夕張行きの準急は 岩見沢と追分で2回進行方向が変わりました。
深川~旭川間の普通列車の少なさは、今とほとんど変わりません (笑)
[ .北見大橋 at 2016/12/13(Tue) 20:15コメント(0) ]
2016/12/10(Sat)
函館線上り1

  函館本線クラスになってくると、駅名や列車、行き先など 気になる箇所が多すぎて
  キリがないので、各自でお楽しみください (笑)

  神居古譚があり、ニセコが狩太だった時期です。



函館線上り2
[ .北見大橋 at 2016/12/10(Sat) 22:50コメント(0) ]
2016/12/07(Wed)
富内線




 (参考) 日高本線の時刻表
日高本線
[ .北見大橋 at 2016/12/07(Wed) 17:00コメント(0) ]
2016/09/01(Thu)
2016/05/26(Thu)
2016/05/22(Sun)
2016/04/02(Sat)
2016/02/06(Sat)
富良野線

旭川8時15分発で釧路行きの急行狩勝があり、富良野では、札幌から来る 同じ急行狩勝と併結して釧路へ向かっていました。
ということで この時期の急行狩勝は、札幌→釧路の本編成に、旭川→富良野→釧路の
「旭川編成」 を併結するという運用でした。
下に 以前紹介した根室本線の時刻表を貼っておきますが、札幌7時00分発、滝川8時13分発、富良野9時16分から11分停車で 旭川編成を併結。 帯広11時32分着、釧路には
13時58分到着。

現在も ほぼ近いダイヤで帯広行きの快速狩勝がキハ150限定運用で走っており、
旭川7時45分発で上富良野まで各駅に停車し、そのあとは中富良野のみ停車で富良野に
8時50分着。 25分間も停車して 富良野に9時10分に着く滝川から来る愛称無しの快速列車を待って、9時15分に発車。 帯広には11時20分着。 富良野~帯広間にキハ150が
入るのは この列車のみ。
(ちなみに、その滝川8時05分発 富良野9時10分着の快速列車は、来月3月末の北海道新幹線開業ダイヤ改正で廃止され、無くなります)

富良野15時20分発の旭川行きが 上富良野で6分停車して車両を切り離し、15時48分発で富良野へ戻って行っています。 上富良野高校生の下校列車でしょう。

夜に 富良野発美瑛行きという、今は無い行き先の列車があります。








根室本線 下り
  【おまけ】  根室本線 下り


根室本線 上り
  根室本線 上り
[ .北見大橋 at 2016/02/06(Sat) 20:00コメント(1) ]
2015/11/14(Sat)
池北線

帯広基点で、1日2本の急行池北が走っています。
通過する 高島、勇足、仙美里、上利別、小利別、境野、上常呂では 通過授受が行われていました。
[ .北見大橋 at 2015/11/14(Sat) 17:15コメント(1) ]
2015/07/19(Sun)
根室本線 下り

下り、釧路方面行き。

石勝線が開業するのは昭和56年なので、滝川・富良野廻りが 十勝・釧路・根室を結ぶ大動脈だった時代。
「鹿越」 と載っていますが、これは、この時刻表の半年前の昭和41年9月28日限りで、金山ダム建設に伴う金山~東鹿越間の路線変更により新線(現行線)上に移転した 「鹿越信号場 (兼・仮乗降場)」 のことです。
その翌日の9月29日には落合~新得間の狩勝信号場・新内廻りが 新狩勝トンネル廻りの新線に切り替わり、時刻表には載らない上落合・新狩勝・広内(ひろうち)・西新得に加え、上芽室・常豊の6信号場が誕生しています。

朝に野花南行きがあります。

上芦別行きが3本あり、うち1本は急行そらち。 しかも、すべて札幌か小樽とを結ぶ列車です。
上芦別は三菱の城下町であり、昭和36年まで芦別森林鉄道が、昭和39年までは 現在の芦別温泉スターライトホテル近辺にあった三菱芦別炭鉱専用線の接続駅でした。 上芦別駅には現在も、釧路方面行きの下り線から滝川方面へ折り返せる信号設備が備わっています。
また、その小樽発上芦別行きの急行そらち1号に札幌から併結して富良野まで行く、臨時急行 「北の峰 銀嶺号」 があります。 列車名から察するに スキー列車でしょうか?  
滝里に停まっていて 「なぜ?」 と思いましたが、普通列車と交換のための停車のようで、運転停車するなら客扱いしてしまえ的な停車のように感じます。

函館4時10分発の釧路行き特急おおぞら。 根室線内での停まらないっぷりが痛快です。
列車番号は1D。 函館発の朝の一番列車で、停車駅は東室蘭・苫小牧で 札幌には4時間半後の8時40分着。 9分停車で進行方向が変わり、岩見沢・滝川と来て、函館から8時間半で帯広、終点釧路には10時間40分後の14時50分着です。 これでもかという程の停車駅の少なさが、まさに”特別急行”の感ありです。

函館11時15分発の特急おおとりは おおぞらの増発分も兼ねた位置付けの列車で、滝川で網走行き編成と釧路行き編成とに分割していましたが、食堂車は釧路編成に連結されていました。 という事で 昭和39年に登場した特急おおとり は、下りで言うと 「函館発 網走・釧路行き」 の列車であり、滝川から大きく二股に分かれる列車でした (上りはその逆パターン)。  釧路発着編成は昭和45年10月改正で廃止され、その後の特急おおとりは、シンプルな函館発網走行きの列車となりました。

札幌発根室行きの急行阿寒があります。 札幌13時05分発で釧路19時25分着、終点根室には約9時間後の 21時58分に到着。

急行まりもの他に、小樽発釧路行きの夜行普通列車があります。 数少ない通過駅の中に幾寅があり、「野花南や下金山には停まって、役場のある幾寅には停まらないの?」 と思ってしまいました。
富良野~落合間の普通列車は、夜行便を除いて1日7本。 現在の同区間は快速狩勝を含めて1日7本と、本数はこの頃からまったく変わっていません。

帯広発で、朝の便は北見、夕方のは陸別行きの、急行池北があります。

夜に尺別折り返しの列車があり、白糠で、白糠線の列車(上茶路発)を併結しています。
白糠線は昭和39年に白糠~上茶路が開通し、北進まで延伸したのは昭和47年のこと。 
全通からわずか11年後の昭和58年に廃止。

この時刻表の頃(昭和42年3月)は、尺別から分岐していた雄別炭鉱の尺別鉄道線がまだ健在で、上芦別や留萌線の恵比島、羽幌線の築別同様、尺別は炭鉱鉄道の起点駅としてそれなりの駅でした。 昭和45年2月に閉山して、その2か月後に尺別鉄道線も廃止されました。







根室本線 上り

上り、滝川方面行き。


※ しばらく前に書いて放置していた記事ですが、最近多忙で いつまで経ってもこれ以上加筆
  する元気が出ないため、このままアップしときます。
   各自、古い時刻表をお楽しみくださいませ (苦笑)
[ .北見大橋 at 2015/07/19(Sun) 01:05コメント(1) ]
2015/06/21(Sun)
札沼線

札幌~石狩沼田は 距離113キロ。 厳密には、札沼線は桑園~石狩沼田を結ぶ路線です。
時刻表の通り、浦臼で 路線の系統を南北に分けていました。 浦臼は札幌から距離64キロ、石狩沼田からは49キロと、札沼線のほぼ中間地点にあります。
近年電化された札幌~石狩当別~北海道医療大学間のことは置いといて、北海道医療大学以北の非電化ローカル区間を見てみますと、浦臼まで行く列車(石狩月形~浦臼を走る列車)は1日8往復あります。 現在でも浦臼までは1日7往復あるので、この頃からほとんど変化がない、大きく減ってはいないことがわかります。

そして現在、浦臼から北へ14キロ先の 終点新十津川までの区間が1日3往復しか走っていませんが、見方を変えると、新十津川の14キロ手前の浦臼までは1日7往復と、ローカル線としてはまあまあな本数が走っている、と言えるかもしれません。

この時刻表では浦臼以北の 浦臼~石狩沼田間に7往復走っていて、雨竜と和で列車交換があります。 新十津川にも交換設備がありました。 
雨竜駅の前後に、南雨竜・中雨竜のふたつの仮乗降場があります。
夕方に、休日運休の碧水行きがあります。 この頃は閉塞扱いしていた(交換設備があった)のでしょうか。
札幌~石狩沼田~深川を結ぶ直通列車が1日2往復あります。

昭和10年に全通した札沼線ですが、昭和18~19年に 石狩当別~石狩沼田間が不要不急線に指定され、線路をはがされてしまいます。
終戦から1年過ぎた昭和21年に ようやく石狩当別から浦臼まで復活するも、その先が全然進まず、浦臼~新十津川~雨竜の再開が昭和28年。 残る石狩沼田までの区間(=全線復活)は、昭和31年までかかりました。
それだけ復活させる優先順位が低い、、、客貨の輸送量が少ない、と見られていたのでしょうか。

そして全線復活からわずか16年後の昭和47年6月に、利用の少ない石狩沼田~新十津川間・35キロが部分廃止となり、国鉄バスに転換され、現在に至ります。
[ .北見大橋 at 2015/06/21(Sun) 20:00コメント(0) ]
2015/06/08(Mon)
留萠線・羽幌線 下り

まずは留萠線。
深川5時38分発の増毛・幌延行きの下り始発列車は、石狩沼田で札沼線経由の札幌行き車両を分割しています。 札沼線の石狩沼田~新十津川間が廃止になったのは、この時刻表の5年後の昭和47年6月。
留萠鉄道の分岐駅だった恵比島行きの列車があります。 夕方に、当時深川まで乗り入れていた留萠鉄道の車両が恵比島で分割して、昭和駅へ戻っていっています。 深川~留萠間を走る急行が 石狩沼田の他に恵比島にしか停まっていない事からも、恵比島駅の乗降客、乗り換え客が多かった事が想像できます。
留萠鉄道は、この1年後の昭和44年4月に昭和炭鉱と太刀別炭鉱が立て続けに閉山したことで、閉山からわずかひと月後の、翌・5月から営業休止になり、運行を再開することなく2年後に正式に廃止されました。

留萠~増毛間は普通列車が10、急行が1の、計11本の運行。 
現在の留萌~増毛間の下りは 1日6本 (休日は夜の1本が運休になり、1日5本) と、半減しています。

羽幌線。
下ノ滝、北里、西振老仮乗降場が載っています。 北里、西振老は昭和45年に、下ノ滝は昭和47年に廃止。
留萠線の恵比島と同じく、運炭目的の私鉄である羽幌炭礦鉄道が分岐していた築別行きの列車が、何本もあります。
また、深川から増毛でなく羽幌線に直通する列車も結構あります。

羽幌線は長らく 留萠~築別間の 「羽幌線」 と、幌延~遠別間の 「天塩線」 というふたつの盲腸線の状態が長く続いていて、昭和32年になって築別から北へ 初山別まで延伸。 翌年の昭和33年にようやく 最後の初山別~遠別間がつながり、北側の天塩線を羽幌線に編入して、晴れて留萠~幌延間が 「羽幌線」 として全線開通、という かなり若い路線でした。





留萠線・羽幌線 上り

上り。
築別から分岐していた羽幌炭礦鉄道が廃止になったのは、昭和45年12月。
手元にある昭和43年のダイヤグラムを見てみますと 築別から留萠へ向けた貨物(石炭)列車が1日6往復走っており、そのうち3往復に重連運転の印が付いています。 (蒸機の重連)
1日6往復とまずまずな本数が走っていたのは、小平~大椴、力昼~古丹別、上平~羽幌間に20パーミル勾配が存在するため 重連でも長い両数を牽く事が出来ず、その分 本数を増やして対応せざるを得なかったからだそうです。

夕方に 幌延発築別行きがあります。
4本ある急行のうち、2本が札幌、2本が旭川発着です。
札沼線経由の札幌発深川行きが2往復あります。
[ .北見大橋 at 2015/06/08(Mon) 23:15コメント(0) ]
2015/06/01(Mon)
宗谷本線 下り

下り、稚内方面。

西永山駅が載っています。
現在の北旭川貨物駅構内の稚内寄りにあった西永山駅は、この時刻表の半年後の 昭和42年10月いっぱいで廃止になりました。

昭和31年に設置された南咲来仮乗降場は、昭和56年に 現在の天塩川温泉仮乗降場へ
改称されました。
神路もあります。 神路大橋が落成し、そして落橋したのは昭和38年。

循環急行 「旭川」 は旭川を6時10分に礼文併結で出て、紋別遠軽経由で、旭川へは
13時42分に戻ってきます。
札幌発名寄行きの急行なよろが2本あります。
昭和35年登場の急行宗谷は札幌発ではなく函館発の稚内行きというロングランの列車でし
たが、石勝線が開業した昭和56年10月の改正で札幌発着に短縮されました。

旭川10時50分発の余市発稚内行き(!)普通列車は、恩根内で30分停まり、稚内行きの急行天北に追い抜かれます。

2本ある客車列車(旭川10時50分と17時54分発)は、蘭留で後補機を連結して塩狩峠越えに臨んでいたと思われ、気動車列車に比べ 蘭留での停車時間が若干長めになっているのが読み取れます。 急行利尻がどうだったのかは 時刻表からはわからず。 
(おそらく蘭留~和寒間で補機は付いたと思いますが)




宗谷本線 上り

上り、旭川方面。

名寄12時10分発の急行なよろが、なぜか塩狩にも停まっている。 塩狩で稚内行き天北と
すれ違うので、せっかく停まる(運転停車する)のだからと 客扱いをしていたのかな?
旭川を14時55分に出た循環急行旭川は、遠軽紋別廻りで進み、下りと同じく 名寄~旭川間は急行礼文と併結して旭川へ戻ってきます (22時41分着)。

音威子府~幌延間の普通列車は、1日6往復。
天塩中川(歌内)出身の母にこの古い時刻表を見せると、第一声で 「こんな昔っから、今とほとんど本数変わってないしょ。  過疎だねえ」 と笑ってました。
母の家は歌内小中学校から1キロほど幌延寄りに下った、天塩川の川っぷちで酪農をしていましたが、「汽車の音が時計代わりだった」 そうです。
昭和25年生まれの母が歌内から中川商業高校へ汽車通学していたまさにこの時刻表の頃は、「下中川で乗り降りする学生はけっこう居た。 私の友達も、下中川駅の踏切から少し奥に入った所で農家をしていた」  「列車が完全に止まりきらないうちに、男子が調子に乗って飛び降りていた」 「あの頃は道路は舗装されてなかったし、そもそも自転車がまだ貴重品だったから自転車通学は出来なかった」 。

現在 音威子府~幌延間の普通列車は、1本減って、1日5往復。

下中川から奥に延びる道路沿いの農家は 全戸離農して、現在はさけます孵化場を残して無人地帯になっており、下中川駅は平成13年に廃止となりました。
[ .北見大橋 at 2015/06/01(Mon) 21:00コメント(0) ]
2015/05/22(Fri)
天北線

まずは下り (稚内方面行き) を見てみます。

札幌発稚内行きの急行利尻が音威子府に3時13分に到着するので、それに連絡する天北線下り始発も3時44分発と めちゃ早い。 そのまま走り通し 稚内7時31分着の通学列車となる。
稚内に着くと、折り返し 声問行きになり、稚内 → 声問 → 南稚内 → 恵北 → 稚内と、近い時間に細かく行ったり来たり。 各終着駅では3~4分の早業で折り返す。 恵北行きなんて便があったとは知りませんでした。
この連続の区間便は、稚内高校と稚内商工高校の2高校の最寄り駅である宇遠内仮乗降場への通学列車だと思っていますが どうなんでしょうか。

浜頓別~山軽間に 北頓別仮乗降場があります。 どの辺にあったのだろう。 
北頓別は、この時刻表の半年後の昭和42年9月いっぱいで廃止に。

午後の浜頓別発小石行き。 終点のひと駅手前の鬼志別で30分弱停まり、急行天北に追い抜かれる。  『単線追い抜き』 は個人的に大好物なのですが、通票閉塞路線で、かつ、浜頓別のような中規模ターミナル駅でない駅でこれがあったというのは何ともたまりません。 
それにしてもどうやって退避していたのだろう? 急行天北が2番線に入るとして、小石行きはいったん転線して1番線に逃げるものなのか、それとも当時の鬼志別は 3番線退避が出来るだけの場内・出発信号が備わっていたものなのか。 ご存知の方、または 「私はこうだと思う」 と思われる方、いらっしゃいましたら、ぜひお気軽にコメント欄にご意見をお願いします☆
さらにこの小石行きですが、小石駅に着いたあとでこの車両はどうなっていたのか。 17時40分台に小石で交換がありますが、上下どちらかの列車に併結して戻っていたのだろう。 
なんの根拠もありませんが、稚内行きにくっついていったのかな?と思ってみたり。

今度は上り (音威子府方面行き) を見てみますと、稚内発の始発が4時37分発と、こちらもなかなかの早さ。
朝に小石発浜頓別行きがあります。 この列車の車両は、稚内4時37分発の列車で来て、
小石で切り離していたのかな。
札幌行きの急行天北は 南稚内を通過しています。
稚内20時03分発の最終列車は、音威子府で 札幌行きの急行利尻と連絡していました。
利尻の時刻は画像の左側に見切れていますが、稚内20時30分発で 音威子府には23時32分着の、43分発車でした。

天北線は、大正11年に宗谷本線として稚内まで全通するも、4年後の大正15年に幌延廻りの天塩線 (音威子府~幌延~稚内) も全通。 さらに5年後の昭和5年に幌延廻りの天塩線が宗谷本線に編入され、元々の宗谷本線である音威子府~浜頓別~稚内間は北見線として分離されてしまいました。 で、30年間 北見線で親しまれたのち、昭和36年に天北線と改称されます。
ということで、この時刻表の6年前まで、天北線は北見線という線名でした。

小さいの頃から汽車好きだった私は、天塩中川に居た母方のじいさんから 「天北線は昔、北見線って名前だったんだよ」 と教えてもらい、「へえ、そうなんだー」 と思った記憶があります。 また同時に、「音威子府はトキワ村だった。 今でも常盤産業とか常盤砂利とか、そこかしこにトキワの名が残ってる」 と言われた事も一緒に思い出します。
(中川育ちの母も、 ことあるごとに音威子府は昔トキワだった、と口ぐせのように言います)

【追記】
浜頓別町史を見てみましたが、北頓別仮乗降場の記述はありませんでした。
[ .北見大橋 at 2015/05/22(Fri) 20:18コメント(2) ]
2015/05/20(Wed)
美幸線・興浜南北線・渚滑線

興浜北線。
朝に斜内折り返し便がある。
枝幸町から、浜頓別に朝8時くらいに着く通学列車って無かったのか。

興浜南線。
なんといっても、夕方の雄武発沢木行きという、雄武町内完結の下校列車に目を奪われます。
で、沢木から雄武へは (おそらく) 回送で戻っていく?というのがまた何ともいい感じ。

渚滑線。
渚滑発上渚滑行きの区間列車がある。 北見滝ノ上 朝6時45分発の通学列車に連結して戻っていくのかな?
というか、そもそも渚滑発上渚滑行きは、その6時45分の列車に上渚滑から増結するための送り込み回送を客扱いしているだけと想像してますが、どうなんでしょうか。 こんな時間に上渚滑まで行く人がどれほど居たものなのか。 しかし、上東仮乗降場には停まっているところを見ると、ちゃんと固定客がいたのでしょうね。
それより驚いたのは、その滝ノ上6時45分発の列車の行き先が、紋別ではなく、ひと駅先の元紋別行きだということ!  元紋別地区がそれなりに大きい街なのは知っていますが、まさかあの駅で折り返す列車があったとは知りませんでした。
余談ですが 昭和29年に、紋別郡の上渚滑村、渚滑村、紋別町の3町村が合併して、今の紋別市ができました。
[ .北見大橋 at 2015/05/20(Wed) 20:30コメント(2) ]
2015/05/18(Mon)
名寄本線

駅のラインナップは、平成元年の廃止時と同じです。

名寄発の始発列車が興部で急行天都の車両を分割。 分割した列車の30分後に発車して追いかけ、紋別で追い抜いていく。
それにしても、天都も そのあとの急行旭川も、紋別で交換も無いのに まあまあな時間、停車するのね。 
名寄方面行きの急行旭川に至っては、紋別で35分も停まる。 渚滑線の時刻表を見ると、北見滝ノ上発紋別行きの列車が 渚滑18時20分発 紋別18時28分着で有り、その後も18時59分まで渚滑~紋別間の閉塞が埋まっていて、その結果19時まで紋別に足止めを食らっているようです。 あとは、前を走る(遠軽16時28分発の)普通列車に追いつかないようにしているのと、おそらく、紋別を通過して乗り通すという需要が無いのでしょうね。
旭川8時07分・名寄11時02分発の列車は、旭川からの車両を上興部で分割して、今度は(遠軽9時09分発の)交換列車に連結して名寄へ戻っていくのかな?  興味深いのは、分割併合作業を下川や一ノ橋ではなく、わざわざ天北峠を越えた上興部でやっているということ。 名寄発の最終列車も支庁を越えた、峠の向こうの上興部行きです。 単に上興部地区が大きく乗降客もそれなりにあったからなのか、それとも運用の拠点としての上興部駅だからそうなっているのか。 もし 「上興部地区が大きかったから」 という理由だったとしても、だったら最終列車はあとひと駅、西興部まで行ってあげてもいいのでは?なんて思ったり。

午後に 平日のみ運転の、下川発一ノ橋行きの下校列車がある。 一方で、折り返し便は土日も関係なく走っている?。 (行数の関係で、細かい記載は省略している可能性はありそう)
夜に、興部発渚滑行きという最終列車がある。 紋別までは行かないというのが興味深い。
[ .北見大橋 at 2015/05/18(Mon) 21:18コメント(0) ]
2015/05/13(Wed)
標津線・湧網線

標津線。
多和 仮乗降場は、こんな昔から 1日1本ずつしか停まらなかったのね。
不勉強で、標津線に急行が、しかも2本も走っていたとは知りませんでした。
「らうす」 と 「くなしり」 という愛称もいいですね。

湧網線。
中能取、常呂港、土佐の、昭和47年に早々に廃止となった、常呂周辺の仮乗降場3兄弟が載っています。
多和とは対照的に、大曲仮乗降場の停車本数の多さにびっくり。
「名寄本線の湧別支線は、湧網線と運用が一体していた」 という話しを聞いたことはありましたが、この時刻表を見て納得です。 というか、湧別支線はこんな昔から1日2往復しか無かったのか (苦笑)
夕方に、卯原内発網走行きという区間列車があります。
[ .北見大橋 at 2015/05/13(Wed) 21:00コメント(0) ]
2015/05/13(Wed)
相生線・根北線・釧網本線

釧網線の桂台仮乗降場はこの時刻表の翌月、昭和42年4月の開業なので 載っていません。
相生線の高校前仮乗降場が 「津別高校前」 と表記されており、かつてはそう呼ばれていたのか、それとも単なる誤記なのか、調べてみたくなりました。 (手がかりはほとんど無いだろうけど)
根北線は昭和32年開業の 昭和45年11月末廃止なので、廃止3年半前のダイヤということになります。 ここでは1日4往復ですが、廃止直前は1日2往復という悲惨な本数でした。 
3つの仮乗降場(西二線、十四号、十六号)は載っておらず。

【追記】
昭和46年発行の津別町史を見てみたところ、相生線の高校前仮乗降場は そのまま 「高校前乗降場」 として載っていました。
備考欄に 「高校PTAからの要請で設置」 とありました。
[ .北見大橋 at 2015/05/13(Wed) 20:55コメント(0) ]
2015/05/12(Tue)
相生線の終点、北見相生駅跡に飾ってある
昭和42年3月当時の時刻表。

時刻表 1


石北本線を見てみます

時刻表 2

新栄野がまだ 「野上」 で 、下相ノ内、鳥ノ沢があり、常紋信号場も載っている。 
上越もまだ 「駅」 ですね。
朝に、遠軽発奥白滝行きの折り返し便の、奥白滝発遠軽行きがある。
旭川発旭川行きの循環急行 「旭川」 がある。
今も健在の、東相ノ内にある北見工業高校の生徒のための下校用列車と思われる東相ノ内折り返しの列車って、こんな古い時代からあるのね。


時刻表 3

函館行きの特急おおとりは、留辺蘂と上川を通過しています。
美幌町の鳥ノ沢仮乗降場は、美幌駅方向のみの利用しか考慮していない停車本数です。
下相ノ内仮乗降場は、時刻表の上では 下り北見方面列車の停車は無く、「帰り」 用の留辺蘂方面の列車の停車が一本のみで、それも22時という異例の遅さ。
北見方面の列車は本当に全便通過だったのか、それとも根北線や湧別支線の四号線などのように 「ホームに人が居たら停まる」 システムだったのだろうか?
[ .北見大橋 at 2015/05/12(Tue) 20:55コメント(0) ]
ブログ作者
北見大橋
  • 性別
    男性
  • 住所
    北海道中央部
  • 年齢
    42歳
  • 誕生日
    10月05日
とある方から北海道内で廃止になった路線の、駅の写真を分けて頂きました。 いくつかの路線の写真しかありませんが、仮乗降場に興味がある方に見て頂きたく、その思いだけでパソコン初心者が作ったブログです。 ほとんどが仮乗降場に関係のない記事ですが、ご笑覧頂けたら幸いです。
このブログについて
◆当ブログに掲載している写真は、特記が無い限り、基本的に自由にお使い頂いてOKです                    ◆誤字脱字、記事内容や写真の間違いなど気づかれましたら、ご指摘いただけると助かります
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